衆院議員・加藤寛治が結婚披露宴で「3人以上の子どもを」と発言した事について、非難が殺到している様だ。
この発言を考察したい。
1.何が悪いのか?
結婚式のスピーチで、多産を望むスピーチはよくある。
私自身、出席した結婚式で何度も聞いた記憶がある。
おめでたい席だし、子どもが多い事はめでたいから、何が悪いのか?と思ってしまった。
東京新聞では、「女性蔑視につながる。」との論評している。
これは、11年前、柳沢大臣が女性を「産む機械」に例えて発言した失言が念頭にある様だ。
しかし、全ての生物にとって、子孫を残す事は、最優先課題だ。
例えば、カマキリは、交尾をした後にオスはメスに元気な赤ちゃんを産ませる為に食べられる。
鮭は、出産するとオス、メス共に死んで、子どもの餌になる。
だから、11年も前の特異な発言を持ち出して、「女性蔑視」に結びつける考えこそ、歪曲した考えだと思う。
なお、「女性蔑視」は、欧米の文化だ。
日本では、天照大神は女性であり、神さまとして尊敬された。邪馬台国の卑弥呼も女性だ。
農耕民族で島国だから、社会を維持する為に女性が大事にされるのは当然だ。
一方、欧米人は、狩猟民族で、他の民族を征服する事で繁栄してきた。
古くは、マケドニア人がギリシャを征服し、現地の人は奴隷にするか、虐殺した。
近世では、新大陸でインデアンやオーストラリアのアボリ人等、多くの地域で原住民を虐殺し、征服した。
現地の女性は、強姦され、混血人種が植民地支配に当たった。
欧米人にとって、現地の女性は「産む機械」だったかもしれない。
欧米が、男女平等の先進国と考えるのは正しくない。
2.「産児制限」の経緯
戦後、占領政策を実施した連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の国力を落とすために行った数々の施策を行った。
その一つに、経済的理由による「産児制限」を優生保護法として合法化した。
もちろん、今では人口妊娠中絶を合法化している国がほとんどだが、フランス(1975年)、西ドイツ(1976年)、イタリア(1978年)等、かなり後である事を考えると米国の意図は明らかだと思われる。
日本の最も大きな課題は、少子化問題だと思う。
「3人以上の子どもを」発言をバッシングされた事で、少子化対策が難しくなるかもしれない。
少子化対策を打たなくさせる為の施策として、バッシングしているなら、恐ろしい事だと思う。
「3人以上の子どもを」発言をバッシングするのは、反日活動の一つかもしれない。
3.バッシングの社会
些細な事をバッシングする社会は、多くの弊害を生む。
同和や在日の問題は、マスコミで取り上げる事はほとんど無い。
差別的な報道がなされた歴史的経緯はあるものの、バッシングが怖くなって、タブー化してしまった。
その為、数々の既得権益を生む事になってしまった。
民主主義は、自由で活発な論議が必須である。
タブー化して、議論を避けたら正しい意見形成が出来なくなってしまう。